能~(喜多流)柳川・御花を訪ねてー歴史にひたる大人の修学旅行

· mei private,特集,Daily News
Section image

柳川藩主 立花邸 御花大広間 御前能 枕慈堂

〈七十五周年記念 特別公演〉

Section image
Section image

⚠︎コチラは演目が終わってからの特別写真撮影会で、上演中は勿論携帯やカメラはNGです。電気は消して、昔同様灯火での演能でしたが、一番前の目の前の特等席で、しかも当時のお殿様達と同じスタイルで観るお能の迫力は、子供の頃から観て来たものとはまた違う世界でした。正にタイムスリップそのもの。
一流の能楽師の方々を前に、まるで当時の大名に自分の魂が乗り移ったかの様な感覚でした。
戦国の武将達にも愛好され、江戸時代には武家の式楽に定められた能。
儀式の中で能は盛んに演じられ、必修の教養となり、大名達は各々の屋敷に演能の場を設けました。

代々立花家も能の流派の一つである喜多流と縁が深かったそうです。

Section image
Section image

「枕慈童」能は戦国武将達に愛され、江戸時代には武家の式楽として儀式の中で盛んに演じられ、武士の必須教養とされていました。

「枕慈童」は慈悲の力によって不老不死となった少年が千年の時を超えて清流のほとりで生き続ける物語。この演目は変わりゆく時代の中でも変わらない価値を守り伝える尊さを語りかける作品ですが、「御花」さんが目指す”文化財を次の100年へ繋ぐ思い”とも重なります。

能の人生観や死生観が当時の武士の感性に響き、武士同士の交流や情報交換の場に。その知性と教養の高さにも驚きますよね。

お殿様が能を嗜んできた大廣間で、火入から始まり、幻想的な雰囲気の中で、最前列の真ん中で観るひとときは正にかけがえの無い非日常です。

文化財建築と名勝庭園が一体となった御花の舞台で、時を超えて受け継がれる美とその精神。

来年も是非また参加したいなと思いました。

Section image
Section image
Section image
Section image
Section image

今年1月にリニューアルされたばかりの御花さんに滞在致しましたが、たまたまお能のプランで予約したら、なんと喜多流の狩野了一先生がシテ方を✨

柳川での宿泊は初めてですが、子供が生まれる20年以上前に主人と訪れた思い出の地です。

Section image

⚠︎この日も着付け5分くらいで済ませる程の時間のなさで、当然着付けた後のお太鼓を見る暇もなく、折り目がズしてるの気付かずに、そして写真見て気付きました😨

なんでお出掛けの日に限って??デス。
お太鼓をした際に帯の折りシワが出るとか中々しないミスなのですが。。。

Section image
Section image

大廣間と金箔押桃形兜の迫力 

本館に入ると大廣間が広がり、その廊下には「金箔押桃形兜」がずらりと並んでいます。金箔の貼られたこの兜、戦負け知らずといわれた宗重が一隊全員に揃って着用させたと伝わっていて、実際これを被って行軍していた姿を想像するだけでその迫力に圧倒されました。

📝柳川藩主立花邸には、豊臣秀吉が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に、立花宗茂に着用を命じたとされる「金甲(きんこう)」と呼ばれる「金箔押桃形兜(きんぱくおしももなりかぶと)」が伝わっていますが、この兜は豊臣秀吉が朝鮮出兵の拠点として築いた名護屋城に持ち込まれ、宗茂が朝鮮へ出兵した際に実際に使用されたもの。立花家では「金甲」と呼ばれており、文政5年(1822年)の記録では318頭存在が確認され、現在も239頭が立花家史料館に所蔵されています。

Section image
Section image

ひとつひとつの飾りに込められた「祈りと願い」のかたち

更に奥に進むと「お雛さまとさげもん」の部屋へ。柳川では女の子の初節句に雛人形と共に色とりどりの「さげもん」を飾る風習があります。

段飾りの雛人形が高価で手の届きにくかった時代、祖母や母が着物のハギレで人形を作ったのが始まりですが、中心に大きな柳川まりを2個、その周りに7つの飾りを縦に連ねたものを7列、合計51個つないで飾ります。これは平均寿命が50歳といわれた時代に「強く、美しく、誇りある女性に育ってほしい」という親の願いが込められているそうです。

いつの時代も親が子を思う気持ちに変わりはありませんが、当時は子供が沢山生まれても早世する事も多い時代、その中でこの風習に込められた願いを考えると胸が熱くなりました。

Section image
Section image
Section image
Section image
Section image
Section image
Section image
Section image
Section image

お食事前のお能を、今か今かと二人楽しみにしている様子😊

Section image
Section image

素晴らしい観能後の夕食はなんと結婚式スタイル!

知らない方達との同席でしたが、この様な大人のプランに参加されるだけある方々と言う感じです。

私の隣はお茶の先生とお弟子さんらしき方。もう一組は世田谷からお越しの、いかにも精神的にも経済的にも余裕のあるご夫婦と小学生のお子様でした。

お酒も入り話に花が咲き、とても楽しいひと時に。

Section image
Section image

柳川市は福岡県の筑後地方の南西部に位置し、佐賀市とも隣接しています。

筑後国柳川藩の初代藩主である立花宗茂(たちばな むねしげ)。宗茂は、豊臣秀吉の九州平定での功績を認められて柳川城主となり大名に昇格しましたが、関ヶ原の戦いで西軍に味方したため領地を没収されました。しかし、その後豊臣時代の功績や人柄を徳川幕府に認められ、旧領である柳川藩主として復活した、史上唯一の例です。

1587年、豊臣秀吉に命を受けた戦国武将・立花宗茂は、柳川城に入り大名に取り立てられました。


宗茂は優れた武将そして為政者であり、柳川の人々からの信頼も厚かったようです。

元文3年(1738年)、立花貞淑公により藩主とその家族が生活する場として柳川城内にあった屋敷の一部が移築された「柳川藩主立花邸 御花」。
時代の移り変わりと共に歴史的建物を利用して営まれてきた料亭旅館「御花」がリューアル、その記念として能公演があるという事で行ってきましたが、国指定名勝の約7000坪の敷地には松濤園、大廣間、西洋館と見所が沢山。

Section image

西洋館の重厚な美しさに圧倒される

立花家の迎賓館として建てられた真っ白な西洋館。明治時代は要人達を迎える園遊会が催されていたのだとか。明治の面影を今に伝える柳川情緒のシンボルとなっています。

電気の通っていなかった時代に自家発電所を設け、輸入品のシャンデリアや電気器具を使っていたそう。今もランプシェイドなど多くの設備が当時のままに残されていました。

Section image
Section image
Section image
Section image

当時としては珍しい水洗トイレも備わり、立花家が100年前から洋食を嗜んでいた事を物語る貴重な洋食器も展示されています。
天井、柱、ドア、蝶番、建物の細部にまで意匠が施されていて重厚感を感じさせる造りで、明治大正時代に建てられていますが、今も日本各地に残っている和洋折衷の名邸を見ても、この時代の人達の建築技術と細部に渡る美意識の高さは全く違います。


近代化政策。あの正に浪漫が詰まった熱い時代。。。

明治時代の、日本が世界に追いつき追い越そうとした気迫がコチラの建築様式からも感じられました。

Section image
Section image
Section image

和洋折衷の名邸は今も全国に残っていますが、建築技術と細部への美意識の高さはどれを見ても圧巻です。最近話題になった東京国立博物館の前庭の池の埋め立ての件も、池を含めた設計意図が現代に伝わり難いのだとしたらとても残念に思いますね。。。

Section image
Section image

立花家の品々が語る文化の重み 
併設の「立花家資料館」には歴代藩主の甲冑や婚礼調度品、茶道具、能面、能装束、雛人形など、立花家に伝わる品々が展示されています。
精巧に作られた雛人形や調度品の多さ、繊細さには圧倒されただ驚くばかりで、お姫様が遊んでいた光景が目に浮かぶ様でした。

Section image
Section image
Section image
Section image
Section image

立花家は明治維新後、日本国憲法制定と同時に家族制度が廃止されるまでの間、華族の伯爵家に属しています。明治維新や戦後の混乱で多くの旧藩主家が美術工芸品を失う中、立花家も同様に散逸は免れませんでしたが、個人所有で建物と共にこれほどの品が残り保管している例は非常に珍しいのではないでしょうか。

Section image
Section image
Section image

第二次世界大戦に負けた事により・・・我々は本当に多くのものを失ってしまいましたね。

一番は正に「精神性」。。。

Section image
Section image

松濤園
14代立花寛治の拘りによって整えられた松濤園。
その呼称のとおりクロマツに囲まれた池庭で、座敷からの眺望を楽しむ観賞式の庭園です。池庭に大小の中島や岩島を配して、大海を表し、優美な庭景を見せる名園として1978年に国の名勝に指定されました。
また、2011年には松濤園を含む御花の敷地全体が「立花氏庭園」として国に名勝指定されています。

Section image

冬場には飛来する野鴨が群れ遊ぶ景観を見せると、朝食の際に説明されてワクワクしながら聞き見に行きました。このカモは毎年産卵し雛とともにまた旅立っていくとの事。

Section image
Section image

ホテルのスタッフのホスピタリティは勿論の事、食材始め全て国産・地元のもので美味しくて言う事ナシ。朝食の席から見る景観は御覧の通り文句の付けようがありません✨

Section image

お庭のお手入れは隅々まで行き届き、十四代当主・廣治の想いが今も息づいています。

Section image
Section image

文化財を未来へ〜旅を通じて感じたこと

藩主家の暮らしを今に伝え、細部にまで拘り未裔によって守られてきた「御花」。

その時代を生きた人々が大切に受け継いできたからこそ今も存在しています。
これはただの偶然ではなく、その時代を生きた人が残してくれたから今もあり続ける事が出来ています。
ここだけに限った事ではなく、日本にはそういう歴史や建造物や文化が数えきれないほど沢山ありますが、様々な事情で今まさに危うくなっているものも少なくありません。


日本で暮していると古い文化財や美術工芸品が身近に残っている事を当たり前のように感じてしまいますが、これは決して当たり前ではないのです。
これは今を生きる私達が問題ではなく、私達は「預かって」いて、次の世代に渡して行く使命がある、その為には意味や価値を今以上に知る必要があると思います。今回の旅では特に強くそう感じました。

Section image