コソボでセルビア系住民のデモ隊がNATO平和維持部隊と激しく衝突。緊張が高まっていますが、その背景をご紹介。

 

アルバニア系市長誕生に反発しセルビア系住民は政府庁舎を占領しようとし、

NATO軍は政府庁舎を守っている。

 

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https://youtu.be/3u56huRrlxs

コソボ北部で警察とNATO主導の平和維持軍が、この地域で大多数を占めるセルビア人住民と衝突しています。セルビア人はアルバニア人職員が市庁舎に入るのを阻止しようと暴動を始めた様です。コソボはヨーロッパの次の大きな火種となるのではないか?と心配されています。

https://youtu.be/mu32L12RbqI

一体何故、こんな事をしているのでしょうか?

主に、セルビア系住民が認めていないアルバニア系の市長が誕生した事が原因で争いが起きていますが、ここでもロシアというかソ連からの流れと、西側の勢力争いが背景にあります。

※紛争が起きているコソボ共和国は、バルカン半島中部にある国家です。北東をセルビア、南東を北マケドニア、南西をアルバニア、北西をモンテネグロに囲まれています。

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争いが起きているのはコソボ共和国の北部都市ズヴェカン

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コソボは主にアルバニア系民族が居住する地域で、かつてセルビアの自治州でしたが、セルビア系住民と多数派のアルバニア系住民の緊張関係が長年続いた後、2008年2月、独立を宣言しました。

コソボに住んでいる約二百万人の約90%は、スラブ民族とはまったく異なるムスリムと無宗教のアルバニア人です。

外務省によるとアルバニア人(92%)、セルビア人(5%)、トルコ人等諸民族(3%)となっている様です。

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この為、以前から独立運動が盛んでした。

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セルビア政府はコソボの国家承認を拒否しており、正式な支配権はないものの、いまだにコソボをセルビアの一部とみなしています。

コソボの独立は米国を含む約100カ国によって承認されていますが、ロシア、中国、EU5カ国はセルビア政府に味方しています。

※日本は平成20年3月18日にコソボ独立を承認しています。

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そんなコソボ北部の4自治体では今年4月、地方選挙が行われましたが、これをセルビア系住民がボイコット。投票率4%未満でアルバニア系住民が地方議会を握り、アルバニア系の市長が誕生し市庁舎に入りました。これを受け、今回の衝突が起こりました。

https://youtu.be/iuHmy49HG10

セルビア政府は国境付近に駐留する部隊の戦闘態勢を強化し、コソボのセルビア人が再びNATOに攻撃された場合、傍観はしないと警告。この動きにより、過去1万人以上の命が奪われ100万人以上が家を失った、1998-99年のコソボ紛争の再来が再び懸念されています。

https://youtu.be/0xNjDgqFhb0

セルビア政府は「1999年にNATOがユーゴスラビアを攻撃した場所で、想像しうるあらゆる国際原則に違反し大規模な仕掛けが準備されている」と発言。

中国外務省報道官はNATOに対し「関係国の主権と領土保全を尊重し、地域の平和に資する事を行え」と言っています。

NATOはコソボに約3,800人のNATO軍を展開しセルビアとの国境を監視している様子。

NATOのストルテンベルグ事務総長は今週火曜日、暴力的な抗議行動を鎮める為にコソボに700人以上の部隊を派遣し、暴動が拡大した場合に備えて更に大隊を待機させたと述べています。

https://youtu.be/26Xky-8LfqQ

コソボをめぐる紛争は、何世紀にも渡って続いており、セルビア政府はコソボを自国の国家であり宗教の中心地と考えています。

コソボには中世のセルビア正教の修道院が数多く存在しており、セルビア人の民族主義者は、1389年にオスマントルコと戦ったこの地を、民族闘争の象徴とみなしています。

https://youtu.be/k3Qelvsi_5E

一方、コソボの多数派であるアルバニア系民族は、コソボを自分達の国として捉え、セルビア政府による占領と弾圧を非難しています。

1998年、アルバニア系住民の反乱により、コソボ紛争が勃発。

コソボ紛争は1998年2月から1999年3月にかけてユーゴスラビア軍およびセルビア人勢力と、コソボの独立を求めるアルバニア人の武装組織、コソボ解放軍との戦闘です。

コソボ紛争勃発までの経緯

第二次世界大戦後、人民解放軍総司令官だったヨシップ・ブロズ・チトーがユーゴスラビア社会主義連邦共和国を初代首相・終身大統領として立ち上げました。

https://youtu.be/oyq0S2eWp4U

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の中で最大で、最も多くの人口を抱えていたセルビアをチトーは特に厳しく管理していた様です。チトーの秘密警察(UDBA)はコソボの民族主義者を厳しく弾圧しており、1956年には、多くのアルバニア人がコソボにおいて国家転覆の企てとスパイの容疑で訴追されています。

https://youtu.be/E20WrHfMG2g

この頃からコソボでの多数派のアルバニア系住民は独立を目指し活動を始め、後のコソボ解放軍結成へと繋がっていきます。

1974年にはユーゴスラビアの憲法改正に伴って、コソボは他のユーゴスラビア構成国と同等の地位を持つコソボ社会主義自治州となりました。しかし、政治権力は依然としてコソボ共産主義者同盟が独占していました。

1980年5月4日のチトーが死去し変化が起こり始めました。独立運動が盛んになり、コソボ初の大規模な衝突が発生。1981年3月、コソボ全土で大規模なアルバニア人によるデモが発生。国家的反乱の様相を呈し、ユーゴスラビア共産主義政府は非常事態を宣言し、軍や警察を大量投入して反乱を鎮圧しています。

https://youtu.be/UcPLCV23d7Y

この反乱が起きた為に、コソボには大量の秘密警察が配置され、セルビア人、アルバニア人双方の民族主義活動を厳しく弾圧。コソボの住民580,000人が逮捕され、尋問され、拘留され、あるいは懲戒されました。数千人が職を失い、教育機関からも追放。

これがもとでコソボで更にアルバニア人の民族主義を拡大する事になった様で、アルバニア人とセルビア人の民族間の緊張は高まっていきました。

https://youtu.be/Mlb3YAUp8rI

 

1990年、欧州ではベラルーシのルカシェンコ大統領と並ぶ独裁者と呼ばれていたセルビア共和国初代大統領スロボダン・ミロシェヴィッチがコソボの自治権を剥奪。ミロシェヴィッチの支持者によって選ばれた新しい地元の指導者へと挿げ替え、コソボの権限縮小のプロセスを大きく進めました。

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セルビアのミロシェヴィッチ大統領により、80,000人のアルバニア人がコソボで職を追われる事になりました。コソボの全ての高等教育に対しても新しいセルビアの教育カリキュラムの導入が強いられました。

コソボへの影響は絶大で、自治権の縮小はコソボの政治機構の解体を伴い、コソボ共産主義者同盟、コソボ州政府、議会は公式に解体され、コソボの産業の多くは州が保有していましたが、これらの企業の中枢は抜本的に入れ替えられたのです。

アルバニア人の文化的自治も過激に弾圧されており、唯一のアルバニア語の新聞だった『Ridilin』は発禁。アルバニア語でのテレビ、ラジオ放送は中止。アルバニア語は州の公用語から除外。プリシュティナ大学はアルバニア人民族主義の温床と見られていたが、大規模に粛清され、800の講義は閉鎖され、23,000人の学生のうち22,000人は追放されました。

この弾圧がコソボ民主同盟の誕生に繋がります。

コソボ民主同盟は当初、武装闘争はセルビアの軍事力の前には無力であり、単に流血を招くだけと考え、ユーゴスラビア、セルビア国家へのボイコット、選挙の不参加、徴兵の拒否、納税の拒否を呼びかけていました。

1991年9月、コソボの非公式議会はコソボの独立を問う住民投票を実施。

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セルビア治安部隊による妨害や暴力にも関わらず、コソボのアルバニア人の人口90%が投票し、うち98%、およそ100万票がコソボ共和国の独立に賛成しています。セルビア政府はこれらの投票を違法であり、その結果は無効であるとしました。

しかし、セルビアによる抑圧が続くにつれ、アルバニア人達の多くが過激化し、その一部は武力闘争のみが状況を打開し得ると考えるようになりました。遂に1996年4月22日、セルビア治安部隊の隊員に対する攻撃が同時多発的にコソボの各地域で発生。

この頃コソボ解放軍は資金を得る為に、大規模なアルバニア人犯罪ネットワークに深く関与していた様です。

1998年、各地でコソボ解放軍とセルビア政府が武力衝突を起こします。やがて、コソボ解放軍は西側諸国、中東からの支援を受けてセルビア共産党政府と戦うようになりました。

https://youtu.be/pzCBwi9U6hE

コソボ解放軍による攻撃とセルビア側の反撃は1998年から1999年にかけての冬の間中続けられ、都市部で爆破や殺人などが多発。

https://youtu.be/daxhG0akkx8

1999年1月15日にはラチャクの虐殺が引き起こされました。

ラチャク虐殺は直ちに(調査が始められるより前に)虐殺事件として西側諸国や国際連合安全保障理事会から非難され、ミロシェヴィッチ大統領とその政権の首脳らが戦争犯罪者とみなされる原因となっています。この虐殺を受け、NATOは武力を投入する事が問題を解決する唯一の手段であると断じました。※ここでも最近行われている様な情報戦が行われています。CIAが行ったなど。

https://youtu.be/olFYg-Nh1BI

NATOによるセルビア空爆は、1999年の3月24日から6月11日まで続き、最大で1千機の航空機が、主にイタリアの基地から作戦に参加し、アドリア海などで展開されました。

https://youtu.be/MTT09hKH048

巡航ミサイル・トマホークも大規模に用いられ、航空機や戦艦、潜水艦などから発射されました。NATOの全ての加盟国が作戦に一定の関与を行い、10週間に渡る衝突の中で、NATOの航空機による出撃は38,000回を超えました。

https://youtu.be/2-4DNsA_UMw

地上では、セルビア人によるアルバニア人への民族浄化作戦が激化し、NATOの空爆が始まってから1週間の間に300,000人のアルバニア人が隣接するアルバニアやマケドニア共和国に去り、その他にも多くがコソボ域内で強制移動させられいます。4月の時点で、国際連合は、アルバニア人を中心に85万人が故郷を離れたと報告。

https://youtu.be/M1L7OH5e45w

空爆が終わる前に、ミロシェヴィッチ大統領は連邦内相や連邦副首相、セルビア国防相とともに旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)によって殺人、強制移住、追放、政治的・人種的・宗教的な迫害を含む人道に対する罪で訴追されました。この内、連邦内相は、2002年にセルビア議会前で拳銃自殺しています。

https://youtu.be/l0n5Q1TsVuI

しかし NATOによるユーゴスラビア空爆の正当性は、国際連合安全保障理事会による裏づけのないまま攻撃を行った為に非難の的となりました。特にユーゴスラビアと親しい関係にあった常任理事国の中国やロシアが反対していたにも関わらず空爆した為です。

ロシアは、ユーゴスラビアに対する軍事行動を正当化するような決議には拒否権を行使するとしていました。しかしNATOは、国連安全保障理事会による同意のないままでの軍事行動を、「国際的な人道危機」を理由に正当化しようと試みました。

また、コソボの場合はNATO加盟国に直接の脅威を与えない”NATO非加盟国”に対する攻撃を行った事も批判の対象に。

https://youtu.be/PbP2tKR-goQ

紛争終結以降、コソボは国際連合の監督下に置かれました。

コソボの地位は2008年まで不安定な状態が続きましたが、その間、政治・軍事の両面で重要な成果を挙げてきました。

2008年2月17日、コソボは独立を宣言し、直後にアメリカや、イギリス、ドイツなど一部の欧州連合加盟国、トルコなどが独立を承認し、日本政府も3月18日に承認。

https://youtu.be/FvATTUB8LfU

こうしてコソボのセルビア人とアルバニア人は争い続けてきました。それが今でも続いており、今回の衝突に繋がります。

現在に話を戻します。

現在の対立を率いている主なプレイヤーは誰か?

コソボとセルビアはともに、妥協を許さないナショナリストに率いられています。

コソボでは、セルビアの元学生デモ指導者で政治犯だったアルビン・クルティが政府を率い、EUが仲介する協議の主要な交渉者となっています。彼はコソボのアルバニアとの統一信奉者としても知られ、セルビアとの妥協には反対。

https://youtu.be/-B5u9fseZwM

 

コソボの首相アルビン・クルティは今週火曜日、ロシアの同盟国セルビアとの危機的な状況のさなか、ウクライナとの連帯を表明しました。コソボ議会で首相は、同政府が「ウクライナの独立、主権、領土保全」を支持していると述べ、「EU、米国、NATO」と連携すると付け加えた。

一方、セルビアはポピュリストのアレクサンダル・ブチッチ大統領が率いていますが、彼はコソボ紛争時に情報相を務めていた人物。こちらも何かを得る事ができない限り、和解しないと言っています。

https://youtu.be/t4YtNuyiB_U

 

ブチッチ大統領は「コソボのセルビア人を守れ、さもなくば自分達でやる」とNATOに警告しています。

また、ブチッチ大統領は「中国の真の崇拝者であり、堅い友情で結ばれた友人」であるセルビア国民とその国民を代表し、中国共産党創立100周年を祝辞を述べているように、中国ととても近い関係です。

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世界各国は、今後数ヶ月の内に両者が交渉を加速させ、解決に至る事を望んでいる。

両国がEU加盟に向けて前進したいのであれば、関係を正常化する必要がある。大きな進展がなければ、不安定な状態が長引き、経済が衰退し、常に衝突の可能性があることになる。

セルビア政府がコソボに軍事介入すれば、そこに駐留するNATOの平和維持軍と衝突することになり、第二次コソボ紛争となる可能性があります。

昨日、セルビアとコソボの両大統領は木曜日、現在の危機の解決に向けて会談、フランスとドイツの首脳は緊張を緩和する為の迅速な措置を取るよう両国に迫りました。

しかし、まだ解決に向かうかは分かりません。

https://youtu.be/73sGVQflek0

※セルビアの歴史

1346年 - セルビア帝国成立。

1371年 - セルビア公国成立。

1459年 - オスマン帝国に敗れセルビア公国滅亡。

1817年 - セルビア公国が再び成立

1882年 - オスマン帝国から完全に独立しセルビア王国が成立。

1918年-第一次世界大戦後、サン=ジェルマン条約により、旧オーストリア=ハンガリー帝国領の南スラヴ人地域が独立。「セルブ・クロアート・スロヴェーン王国」結成

1919年-パリ講和会議で日本政府の人種差別撤廃案に賛成

1929年-セルビア王アレクサンダル1世がクーデターを起こしユーゴスラビア王国成立

1946年-ナチスとの戦いの中、ユーゴスラビア連邦人民共和国成立

1963年ーユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称。マケドニア社会主義共和国、セルビア社会主義共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ社会主義共和国、クロアチア社会主義共和国、スロベニア社会主義共和国、モンテネグロ社会主義共和国の6つの国家からなる連邦国家。

参考:ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 国歌。「祖国の反逆者どもよ呪われて地獄へと落ちろ」等とマルクスレーニン主義らしい歌詞。

https://youtu.be/uXWqN1CUz7g

1991年-クロアチア、スロベニア、マケドニア共和国がユーゴスラビア社会主義連邦共和国から独立、1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立。

1992年-残されたセルビア共和国とモンテネグロ共和国で「ユーゴスラビア連邦共和国」立ち上げ。社会主義体制を放棄する方向に

2003年 - EUの仲介により、「ユーゴスラビア連邦共和国」からセルビア・モンテネグロに国名変更

2006年-モンテネグロ独立。ユーゴスラビア連邦は完全に解体され、セルビアだけに。

2008年-コソボがセルビア独立宣言。

2009年-セルビアはEU加盟申請。将来的なEU加盟は確約されたが、2023年時点でこのコソボとの争いで不明瞭な状態に。

近年のセルビアはマルクス共産主義国家の歴史ですが、その前はスラブ、その前はオスマン帝国、その前はローマ帝国。小国はいつも大国に翻弄され続けて来ていますよね。

そしてコソボとセルビアはまた民族自体が違うというややこしさ。

コソボの住民の92%がアルバニア人で、セルビア人が5%、残り3%がトルコ系です。

アルバニア人はインド・ヨーロッパ語族系の古代民族ダルダニア人の子孫とされ、ムスリムなんですよね。

また、アルバニア人はコソボをダルダニアとも呼びます。これは古代王国の名前であり、現在のコソボの領土と同じ場所にありました。

https://youtu.be/knnpPGaW6to

紀元前1世紀にはダルダニアはローマ帝国に併合され、その後千年間は東ローマ帝国(ビザンツ帝国)に属しています。

13世紀にはコソボはセルビア中世国家の中核となりましたが、1389年のコソボの戦いにより、オスマン帝国はコソボを完全に征服。オスマン帝国は1912年まで約5世紀に渡ってこの地域を支配しました。

オスマン帝国支配時代にイスラム教が導入され、コソボの人口の 95.6% がイスラム教徒とされています。

つまり、インドとパキスタンみたいに、キリスト正教セルビア VS ムスリムアルバニアみたいな。宗教対立が対立理由の強い要素な感じがします。

しかしこの宗教対立に話を持って行くと話が終わらなくなりますので、今回はこの辺りで・・・・・

 

(補足)これらの動画ですが、内容合わせてその部分についての外人の解説動画を付けてますから、PCでサイトを見る時に日本語の字幕を設定でつけれるので、それで見て貰うとより一層理解が進むと思います。

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①字幕表示ボタンをクリック

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②字幕の翻訳を日本語に設定します。

日本語での解説と全然違った見せ方を海外メディアはしてきますので興味深いですよ。