中国における生体臓器摘出の疑いのある病院の地図⇩
ここでは江沢民が中国での臓器強制収奪に関与していたと思われる証拠をお見せします。こんな資料は今まで見た事ないのではないでしょうか。
中国は今や世界有数の臓器移植大国となっているのは皆さんもご存じだと思われますが、西側諸国では数年待ちが当たり前の高価な臓器移植手術が、中国では驚くべきスピードで大量に行われているのです。
中国の臓器移植病院の特徴は、不謹慎な言い方になりますが「手術が早い・安い・新鮮」です。
1999年以前は中国では数十例しか行われていなかった肝臓移植まで2000年後は西側諸国を凌駕するレベルで増えてきました。
それもただ増えたのではなく激増です。
その結果、日本や欧米、中東からも中国での臓器移植ツアーなるものまで登場しました。
しかし、ここで気になるのは年間数件だった臓器移植のドナーはどこから来ているのか?という事です。
中国共産党は「法改正により、死刑囚を活用しているんだ」と言っていますが、死刑囚の数を圧倒的に凌駕する臓器が供給されています。
ならば、中国共産党はどこから臓器を手に入れているのでしょうか?それも、新鮮な状態で。
そのカラクリを、臓器収奪の主な被害者である法輪功の組織、World Organization to Investigate the Persecution of Falun Gongが執念の調査を行って明らかにしておりますが、ここではその内容の一部を紹介します。
中国の爆発的な臓器移植産業の成長は、江沢民による法輪功迫害キャンペーン開始と重なる。
2000年は中国の臓器移植産業の発展における分岐点⇧
2000年以降、中国本土の臓器移植産業は爆発的な成長を遂げました。
中国での臓器移植が劇的に増え始めた2000年の前年に、江沢民は法輪功に対する徹底来な取締りキャンペーンを1999 年 7 月 20 日以降開始。
ここでは詳しくは触れませんが、こちらにその経緯が詳細に記載されています。
その後、数万人の法輪功信者が平和的な陳情や真実を語ったという理由で不法に逮捕され、数え切れないほどの人々が行方不明となりました。 これと並行して、中国では臓器移植の件数が爆発的に増え、多数の臓器移植センターが急ピッチで設立され、それに伴って医療現場でも多くの異変が起きていました。
1999 年以降の中国臓器移植産業の成長具合
肝移植を行う病院が1999年から7年で、20ヵ所から500ヵ所以上に増加
中国で肝移植を行う病院は、1999年以前は20数か所だったのが、2006年には500か所以上に急増し、23倍にもなっています。これに対し、臓器移植が最も進んでいる米国では、肝移植ができる病院は約100件にとどまっていました。
1999年から2006年にかけて肝臓移植が180倍になったとの公式発表
1999年以前の20年間の中国での肝移植の累積件数は135件に過ぎず、年平均5〜6件でした。
1991年から1998年までの8年間では78件の肝移植が行われ、年平均9.7件。
しかし、1999年から2006年までの8年間では15207件で年平均1900件と爆増しています。
1991年を境に、前後の8年間の肝移植件数は190倍もの差があります。
こちらでもこの数字を確認してみた所、当時、中国衛生部が国際医学雑誌「ランセット」に「中国における臓器移植に関する政策」という論文を発表しており、この論文には、1997年から2007年までの臓器手術件数の推移が掲載されていました。
人民解放軍第二軍医大学附属第二医院(上海长征医院)のホームページに掲載されていた「
肝移植症例数」
※中国における臓器移植の年間件数や総件数については、正確な数字はなく、専門家によって出された推計値は、入手できるデータによって多少異なるが、いずれも中国本土における臓器市場の急速な発展を示しているとの事。
例えば、『健康新聞』での報道では、中国臓器移植学会常務委員で全軍臓器移植センター所長の石炳毅氏が、2005年までの移植件数は約9万件で、2005年だけで腎臓移植が1万件近く、肝臓移植が4千件近く行われたと考えていると指摘しています。
また『科学新聞』のインタビューでは、2006年は移植が史上最高で、2万件に達したとしていて、 中国の衛生部次官である黄洁夫氏は、中国の臓器移植は 2004 年にピークを迎え、腎臓と肝臓の移植だけで年間約 15,000 件あったと述べています。
1997 年から 2009 年 10 月までの米国における臓器移植の数と比較しても、中国での移植数が急増している事が分かります。移植される臓器は、ドナーが必要な為に急激に減ったり増えたりするものではありませんからね。
1997 年~2009 年 10 月までの米国における臓器移植件数⇩
2007年も肝移植数は増加し続け4231件の手術が行われました。これは1991~1998年と比較して436 倍の増加となります。
天津第一中心医院の年間肝臓移植件数は、数百から数千倍に増加
天津第一中心医院では1994年5月に最初の肝移植が完了し、1994年から1998年までの5年間で、年間1.6例、8例の肝移植が完了しました。
しかし、1999年以降の年間肝臓移植件数は爆発的に増加し、1999年は24件、2000年78件、2001年129件、2002年272件、2003年289件、2004年には800件に達しました。
2005年には年間肝移植が647件、腎移植は436件完了しました。 1999年以前と以後の移植件数の差は数百倍にもなります。
上記の数字は中国共産党が国民に公式発表したものに過ぎず、実際の数字はもっと多いと考えられ、憂慮すべき状況です。
この天津第一中心医院では、2006年9月に新移植棟のベッド数が120床から500床以上に増加したと調査で判明しており(別の公式メディアでは、開業時の移植専用ベッド数は700床以上に達したと報道)、ベッド稼働率は90%以上、最高131.1%、手術を受ける患者の平均入院期間は25~30日、実際の手術件数は年間5000件以上、ピーク時の手術件数が 8,000件/年だったとの情報もあります。
多数の臓器移植マッチングセンターが1999年以降迅速に設立された
1999年以降、中国大陸では多くの臓器移植センターとマッチングセンターが急速に設立され、臓器移植の為の設備がなかった多くの病院や診療科が臓器移植センターへと転換されとの事です。 人民解放軍の病院が目立ちます。
・人民解放軍第 309 病院 (参謀本部総合病院)
2002 年 4 月、泌尿器科を基盤として、人民解放軍第 309 病院の臓器移植センターが設立されました。その後、総医療収入は2006年の3000万元から 2010 年には 2 億 3000 万元に増加し、5 年間でほぼ 8 倍に増加しています。
・北京軍総合病院
北京軍総合病院の肝移植センターは1999 年に臨床肝移植作業を実施。同病院は、肝移植が日常的な手術になったと主張しており、肝臓ドナーを獲得する為のスムーズなルートが確立されています。北京とその周辺地域のドナー肝臓を時間内に入手できるだけでなく、他の省や都市からの高品質の肝臓ドナーも時間内に入手できるとの事。
・天津市第一中心医院
2002年、天津臓器移植研究所を設立。アジア最大の臓器移植センターとなりました。
中国は世界に多くの臓器を提供しており、臓器移植ツーリズムがブームになった
中国メディア《三联生活周刊》が報道していますが、2004年には1999年以降からの僅か数年で、数万人の海外患者が臓器移植の為に中国を訪れ「臓器移植ツーリズム」が発生したとされた。
記事では、「韓国人のほか、日本、マレーシア、エジプト、パキスタン、インド、サウジアラビア、オマーン、台湾などアジアの20近い国や地域から、天津第一中央病院に患者が来ている」と臓器移植観光ブームを紹介しています。
当時、臓器移植の為に中国を訪れる外国人は数万人で、中国本土は世界の臓器移植の新たな中心地となっていると誇らしげに報道。
多数の臓器が低価格で宣伝に出され、無料で提供される事さえあった
吉林省心脏病医院では、先着順で5件の心臓移植を5万元で行うキャンペーンが2006年4月12日に実施されました。
当時の元円レートは14.5円位です。なので、心臓移植を¥725.000位で手術をしていた様です。
また、湖南人民病院は、2006年4月28日に肝臓と腎臓の臓器移植を先着順で20回無料で行うという企画を打ち出しています。
【20件の無料臓器移植 2006年4月21日】
1ヶ月以上腎臓を探していた57歳の董淑芳はついに腎臓移植を受けるために省人病院の手術室に運びこまれた。 報道によると、彼女は省人民病院の「ダブルテン計画」(肝臓移植10回、腎臓移植10回を無料で提供)の恩恵を受けた最初の腎臓移植患者となったそうだ。
臓器移植のドナーが多く、お客さんの望む指定日に移植できるとの事
陝西省武装警察総合病院 2006年、先生は「移植したいなら今週の木曜日にやればいい。木曜日には大勢のドナーが集まるから。」と仰いました。
広州軍区広州総医院泌尿器科(腎移植) 医師は「ここには豊富な腎臓の供給源があり、次の月曜日 (2006 年 4 月 11 日) には 25 歳から 30 歳までの生体が確保できるだろう。」と述べた。
东莞市太平人民医院「2006年の最初の3ヶ月間で、300件の腎臓移植が時間外に行われた。 2003年は360件、2004年は260件、2005年は160件の移植があった。」との事。
ドナー(被害者)がいつ病院に運ばれてくるのかのスケジュールが事前に連絡されているので、それに合わせて手術をしていた様です。
この実態を確認する為に、調査員が覆面調査を病院に行っていました。
その時の病院との会話まで録音されています。公開されている者の一例⇩
上海交大附一院移植科 戴医生 2006年3月16日
調査員:上海交大附一院移植科、肝移植センターを知りたいのですが、その番号を教えてください。
回答者:転送中です、お待ちください。
......
先生:言っておきますが、この肝移植はあなたにとって可能な事なんです。
調査員:待ち時間はどのくらいかかりますか?
先生:ドナーは、毎日用意されています。 今日も手術をやっていますよ。
調査員:いや、あなたは生きている臓器について話しているのではありませんよね?
先生:全部生きていますよ、生きてんの。
調査員:ん?
先生:全部生きている人間の臓器だよ!笑
調査員:では、いつからここでやっているのですか? 技術についてお聞きしたいのですが。
先生:5~6年前から、このような手術をやっています。
調査員:1ヶ月でどのくらいできるのでしょうか?
先生:400~500件くらいは可能です。
調査員:400件か500件?
先生:そうですね。
......
調査員:年間400件とか500件とかですよね?(誘導的な質問によって医師が警戒し、話を変え始めた)
先生:いや、今年のトータルかな?これが年明けになると、10件、20件、20件、30件と増えているね。
調査員:そうですか。
先生:毎年100件以上行っています。
調査員:ドナーは健康であることが必要ですね。
先生:あなたが来たら、私はあなたを満足させます。...病気の重症度に応じて、適切なものを選択しなければなりません。
先生:お金を用意することです。
調査員:費用はどのくらいかかるのでしょうか?
先生:15 万から 20 万元程度かかります。(217万円~290万円程度)
調査員:どのくらい待たされるのでしょうか?
博士:あなたの血液型にもよります。あなたに合うドナーは今日来るかもしれないし、一週間に来るかもしれません。
このように、具体的な当時の中国共産党による臓器収奪の状況がWorld Organization to Investigate the Persecution of Falun Gongの調査により詳細に記録されていました。
中国政府は現在も臓器収奪はしていないと主張していますが、ウイグルジェノサイドでも明らかな様に、自分達を正当化する主張しかしないので、聞くに堪えません。
実態はこの様に数字で判断をすべきです。
World Organization to Investigate the Persecution of Falun Gongが出した結論
1999年以来、江沢民前中国共産党主席が率いる中国共産党は「610」システムを通じて、党、政府、軍隊、武装警察、司法制度、医療機関などの国家機構全体を操作し、全国で生体臓器移植による法輪功学習者の集団抹殺を行った。
法輪功学習者の臓器を大量に摘出する事は、江沢民が始めた共産党主導の大量抹殺の犯罪、人道に対する罪である。
この様に結論付けています。
江沢民が始めた法輪功臓器収奪システムは習近平に引き継がれ、その後のウイグル人からの臓器収奪に繋がったのは明らかです。
1996年3月19日に江沢民は中共中央政治局発【1996】7号文件を発布し実行(ウイグル族の民族同化を促進し、新疆で石油とガス資源を開発するという長期戦略計画です)したが、それこそが今日に至るウイグル人「ジェノサイド」の原型になっていると中国研究者の遠藤誉氏は指摘する。
また、天安門事件を起こしながらも、江沢民が中共中央政治局発【1996】7号文件を発布出来たのは結果的に日本が後押したからだとも。
注目すべきは「皮肉な事に、江沢民が1996年の第九次五ヵ年計画で【1996】7号文件を発布できた背後には、天安門事件に対する西側の対中制裁を日本が解除しただけでなく、1992年に天皇陛下訪中を実現させた事に大きな理由がある。
日本の一連の中国へのエールがなかったら、中国経済は天安門事件で壊滅的打撃を受け、旧ソ連が崩壊したのと同じように中国共産党による一党支配体制もあの時点で崩壊したはずだ。」との指摘です。
現在はその被害は拡大し、ウイグルジェノサイドと呼ばれ全世界に認知されるまでになりました。もし、天安門事件後にきちんとした制裁を中国共産党にしておけば、ここまでの事態にはならなかったでしょう。
日本は絶対に二度とこの過ちを繰り返してはなりません。
ウイグルジェノサイド非難決議に二の足を踏んでいる場合ではないのです。
岸田首相は今こそ恐れずに、欧米と連携しウイグルジェノサイド非難声明を出すべきです。
⇧米国と中国の臓器移植の待ち時間 青:米 赤:中国