習近平国家主席が今月、沖縄の主権にかかわる問題に言及

 

人民日報が1面で伝える

 

日本の政府やメディアは殆ど反応していませんが、実は習近平の沖縄に対する発言には深淵な狙いがあると、元北京特派員の経験もある記者の峯村健司さんが指摘

 

 

琉球問題を提起する事は決して日本の内政への干渉ではありません等と述べています

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· China News,特集

 

※中国は明の時代から琉球は中国に朝貢していたと主張し、それを沖縄が中国領土だとの主張に利用していますが、明は1368年から存在した王朝です。しかし、それよりも前から(698年は飛鳥時代)日本政府と沖縄は朝貢関係を結んでいた事が続日本紀に記載されています。最後の方で詳しくご紹介しますので是非ご覧ください。

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このロジックで中国が沖縄の領土は中国の物だと言って来た際に活用できます。

まずは習近平の今月の沖縄に関しての発言から。

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峯村さんは4日付の中国共産党機関紙「人民日報」の1面に掲載された習主席の発言に対し「中国政府高官が発する言葉や文書の文言には、何らかの意図や狙いが込められているからだ。特に14億人のトップに立つ指導者の発言に意図のないものはない。次の行動に向けた「狼煙」と見た方がいいだろう。」と指摘しています。

また、「習氏は沖縄の歴史について強い拘りを持っている」と複数の中国共産党関係者から聞いた事がある。その矛先は、尖閣諸島にとどまらず、沖縄の「帰属問題」に向けられているという。実際、習氏が国家主席に就いた約2カ月後、人民日報に次のような論文が掲載された。

「琉球王国は、明・清両朝の時代には中国の藩属国だったが、日本が武力で併合した。歴史的に未解決の琉球問題を再び議論できる時が来た」

この様な習近平就任直後の発言は、沖縄を中国領土として取り戻したいという願望が現れている。と指摘をされています。

https://www.zakzak.co.jp/article/20230610-JSVWQNBZBNN3NIHGP7HL3LBBAQ/

この時に中国政府は沖縄にどの様な言及をしていたのか、内容をチェックしてみましょう。

琉球問題を提起する事は決して日本の内政への干渉ではありません等と述べています。

先ずは6/4の話題の人民日報での様子から。

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沖縄についての部分です。

習近平総書記は時々立ち止まって視察し、状況について尋ねた。

明代の古書のコピー《使琉球录(琉球使節記録)》を習近平が見ながらスタッフが説明しています。

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これは重要な政治的役割を果たしている古書です。明代の写本で、釣魚島とその付属島嶼(尖閣諸島)が中国の領土に属する事を記録した作品の初期版でございます。

この本にはこう記されています「十日、南風はなはだつよく、舟は飛ぶように進み、流れにそって下ってもあまり揺れなかった。平嘉山、釣魚嶼、黄毛嶼、赤嶼を次々と通りすぎ、見る暇もないくらいだった。一昼夜で三日間の航路を進み、夷の舟は帆が小さく、われわれの舟に及ばなかった。その後、十一日の夕方に古米山が見えた。これは琉球に属するもので、夷の人は舟上で歌い踊り、故郷への到着を喜んでいる。

※これを尖閣諸島が沖縄に属しておらず中国の領土だとのエビデンスにしています。

しかし、あっさりと反論されて論破されている代物です。明代においては台湾ですら版図に入っておらず、清代においても台湾はまともな統治が及んでいなかったのはよく知られた事実です。それより遠方の尖閣諸島に支配が及んでいたなどという事はまず考えられない。結局、尖閣諸島を記載した地図がいくつかあって、だから中国領だと言っているにすぎません。

話を習近平の視察に戻します。

習近平はこの尖閣諸島についての説明に対して「福州(福建省の首都)で働いていた時、福州には琉球博物館や琉球の墓があり、福州と琉球の関係が深い事を知っていました。当時(明の時代と思われる)、琉球に入っていた福建人の姓は36人ありました。」習近平総書記は、古典と版の監督を強化し、中国文明をしっかりと継承し発展させる為に、こうした仕事を強化する必要があると強調した。

沖縄と尖閣に触れたのはこの部分のみですが、尖閣は中国の領土だと主張するのに使われている明代の資料の前で、沖縄には中国人が昔から住んでいたと語っています。

確かに峯村さんの言うように、思わせぶりな発言です。

やがて、沖縄は清王朝に朝貢していたから中国の物であると言い始めかねません。

習近平がこうした発言をする半月前の2023 年 5 月 14 日にも中国歴史協会の会長、中国社会科学院大学院、山東大学一級特任教授の張海鵬が「琉球の地位を改めて議論すべき」と論文を出してきています。

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どの様な主張をしているのか要点を見てみましょう。

結論。1879年の日本による琉球併合は、国際法に反する違法なものであった。

もう既に皆さんこれで堪忍袋の緒が切れると思いますが、そのロジックを見てみましょう。こうした出鱈目な主張が中国国内で拡散されています。

1853年から1859年にかけて、琉球王国はアメリカ、フランス、オランダと修好条約を結び、独立した主権国家であることを示した。

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(※出鱈目ばかりです。ペリーは琉米修好条約に琉球が武力で抵抗した場合には占領することをミラード・フィルモア大統領から許可されていた。

琉蘭修好条約は薩摩藩主島津斉彬がオランダとの交易のために琉球に指示して結ばせた。琉仏修好条約は、フランス海軍准将ゲランと首里王府の間で結ばれたもので、ゲランの独自判断で締結。フランス本国で批准されたかどうかも不明ですと。

これを、琉球が独立した主権国家として締結されたという中国の主張は誤りです。

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1879年、日本政府は琉球王国を不法かつ強制的に併合し、琉球を沖縄県と改称した。

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当時の琉球王国は薩摩藩を管理者として幕藩体制の中に位置づけられていました。清国と外交・貿易関係をもち、国王は皇帝の冊封を受けており、独自の王国体制で領内を経営し「日本の中の異国」的な存在でした。1879年の「琉球処分」は琉球から清国への朝貢関係などを断絶させ、一つの県として日本に統合するために明治政府が行なった政策です。

中国は、1879年日本政府は琉球王国を不法かつ強制的に併合し等と、明治維新直後の日本に言っていますが、そんな過去迄引っ張り出すのであれば、中国は1950年にチベットに侵攻し不法かつ強制的に占領し、ジェノサイドを行ったのだからチベットに主権を返すべきですね。東トルキスタン(現在、中国共産党が新疆ウイグル自治区と呼んでいるウイグル人の故郷)も返すべき。

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2013年5月8日、人民日報は政治欄に張海鵬(この記事の著者)と李国強の共著「下関条約と釣魚島問題について」を掲載し、琉球の地位再考の問題を提起して、海外の世論を喚起した。

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※要は2013年にも沖縄を中国領土として世界をざわつかせた犯人です、この記事の作者は。
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現在、東アジア・太平洋の不安定な情勢、台湾海峡の緊張、日韓が米国の太ももにしがみつくような状況に鑑み、戦略的観点から琉球の地位再考の問題を正式に提起する必要がある。

⇧中国包囲網で押し込まれてるから琉球中国領土論をぶちあげて騒ごうと言っています。

私がこのように考える「理由」は次の通りである

第一に、今回の琉球再考の提案には、歴史的事実が明確であり、国際法上も十分な根拠があるという、教義上の条件が揃っている。

中国の学者たちは、1879年以前の琉球は地理的位置、人口、言語、文化が明確で、千年以上の発展の歴史を持つ独立した王国であったと考えている。

明の時代初期から、500年以上にわたって中国と緊密な宗主国関係を築いていたのである。

中国と琉球の宗主国関係とは、琉球王国の新王が王位を継承し、中国皇帝に服することを意味する。

この関係は西洋の植民地制度とは異なり、中国が政治的、経済的、文化的に琉球王国の発展を助けたというのが本質である。

朝貢関係は、基本的に経済貿易関係であった。

中国は琉球に一人の兵士も持たず、中国の役人も琉球を拠点とせず、中国政府は琉球の内政や外交に干渉することはなかった。

琉球の公式年表は中国皇帝の年号を採用し、公式記録は中国語で書かれていたが、これは琉球人自身の選択であり、宗主国としての属性を確実に反映している。

近代に入ると、琉球王国は中国政府の支援のもと、アメリカ(1854年)、フランス(1855年)、オランダ(1859年)と修好条約を締結し、国交を樹立した。

条約の本文は、それぞれ中国語と英語、中国語とフランス語、中国語とオランダ語で書かれていた。 琉球が署名した調印の時期は、清の顕峰年である。

これらの署名は、現代の国際関係において、琉球が独立した主権国家であり、署名という行為が国際法を完全に遵守したものであったことを示す。 琉球王国は、前近代における独立国家であっただけでなく、琉球は独立した主権国家として近代に突入した。

1872年、日本の明治政府は、琉球王国を琉球藩に変更することを強制的に宣言し、1979年には、日本政府は琉球王を阿波から東京まで武力で護送し、琉球王国の廃止と日本の沖縄県への代替を宣言した。

日本政府は、国際法に反する違法な行為で、独立した主権国家を何の口実もなく力づくで排除した。

琉球国王は殲滅文書に署名せず、清国政府に繰り返し援助を求めた。

清国政府は自意識過剰で、効果的に援助をすることができなかった。

しかし、清国政府は日本の琉球併合を認めることはなかった。

琉球の地位問題は、中国と日本の間で数年間にわたり交渉が行われたが、合意に至らなかった。 日清戦争に敗れると、中国側からは琉球問題を語ることはできず、琉球の地位の問題は未解決の問題となった。

1943年11月、アメリカのルーズベルト大統領と蒋介石がカイロで会談し、戦後、中国が琉球を引き取ることを提案した。

蒋介石は、中国と米国が信託統治を分担すると答え、決議には至らなかった。

このことは、中国もアメリカも、琉球は日本の領土ではないと考えていたことを示している。

カイロ宣言では、「三国の目的は、1914年の第一次世界大戦の開始以来、日本が太平洋で奪取または占領したすべての島々を奪い、東北四省、台湾、澎湖諸島など日本が中国から奪ったすべての領土を中華民国に返還し、その他日本が武力または欲望によって奪取したすべての土地から日本を追い出すことである。

われわれ3つの連合国は、朝鮮の人々が奴隷状態に置かれていることをよく承知しているので、相当な期間をかけ朝鮮を自由かつ独立させることを決定した。" 1945年のポツダム宣言では、"カイロ宣言の条件を履行し、日本の主権を本州、北海道、九州、四国およびわれわれが主張する小さな島に限定する "と明記されている。

この宣言により、琉球は日本の領土ではないことが明確になり、1945年8月15日、昭和天皇はポツダム宣言を明確に受け入れて、日本の降伏を宣言した。

戦後、アメリカ主導のサンフランシスコ講和条約により、琉球はアメリカの保護下に置かれることになった。 1945年8月、アメリカは琉球諸島を占領し、琉球に「琉球民政府」を設立、沖縄の名を廃して琉球の名を与え、日本の琉球併合を認めないことを表明した。

琉球の主権はまだ停止したままであった。 それ以来、日本は沖縄県と名前を変えても、琉球の地位の問題を解決していない。

1879年の日本による琉球併合は、国際法に反する違法なものであったと結論づけることができる。 カイロ宣言とポツダム宣言という2つの重要な国際文書は、いずれも琉球が日本の領土であることを否定しており、1972年以降の日本の沖縄県への再定住は、国際法上の琉球の独立主権地位の問題を解決するものではなかった。

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ポツダム宣言は日本に対しての降伏要求で、サンフランシスコ平和条約は第二次世界大戦(太平洋戦争)の平和条約です。中国共産党は降伏要求と平和条約の違いすら分からないようです。

 

戦争の結果としての領土の最終的処理は、平和条約によって初めて行われるものであるため、その意味ではポツダム宣言は法的効果を持ちうるものではありません

なのでここまでの中国側の主張はしょうもないイチャモン。

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琉球は、500年前から中国と政治、経済、文化の面で密接な関係を保ってきました。 清国政府は、琉球の地位について日本と数年にわたり交渉したが、合意に至らなかった。 米国は、日本の琉球に対する主権を事実上認めなかった。 琉球は太平洋の独立国家となり、中国の海洋開発戦略にとって極めて重要な存在となった。 中国は琉球の独立国家化を戦略的課題として検討する時期に来ていた。

中日間の琉球の地位に関する基本的な見解は、『中日共同歴史研究報告』(北京、社会科学文献出版社、2015年)に正式に発表されている。 張海鵬と李国強は「下関条約と釣魚島について」(『人民日報』2013年5月8日)を発表し、「歴史的に解決されていない琉球問題を再検討する時期に来ている」と指摘し、当時の日本政府菅義偉官房長官が中国政府に正式に抗議した。 華春瑩は日本の抗議を拒否した。 この問題では、国内外のニュースメディアが大きく報道し、世論を盛り上げる雰囲気を作った。 中日両国の政府と社会は心理的な駆け引きをしていた。

第二に、日本には多くの矛盾がある。

日本国内を見ると、護憲と改憲の対立が社会政治的対立になっていること、安全保障と反安保の対立が社会の民主的反戦勢力の継続的な台頭を助長していること、歴史認識の相違と対立が社会、政治、文化、教育の多くの側面に現れていること、沖縄の米軍基地の存在が、唯一地上戦を経験した沖縄の人たちにとっては常に戦争に対する危機意識であり、近時存在する琉球人のアイデンティティと同じであることが挙げられる。

琉球人のアイデンティティは、近来から存在する琉球人の独立意識と相まって、米軍基地への強い反発と「自決」「琉球独立」を求める人々の意識が高まってきた。

琉球の独立と自治を求める運動の高まりは、日本政府を悩ませている。

琉球社会の上層部、大学教授、市民など各界のコンセンサスが徐々に生まれてきたのだ。

「自分で決める権利のために戦う」というスローガンを掲げた独立・自治派が、琉球のローカルパワーであった。

この派閥は、現在の日本の沖縄政策を批判し、近代日本の琉球併合の正当性を問い、琉球の歴史と文化の擁護を主張しています。

メンバーは各政党の国会議員、実業家、大学教授などである。

独立派は、「琉球独立」のスローガンの下、日本の琉球併合の植民地的性質を直接批判し、琉球の主権的地位の回復を要求している。

この派閥は、今のところ数的優位はないが、その影響力と発展の見込みはある。 日本の政治姿勢の保持と琉球人の同一化の両方に賛成する中道派だ。 琉球に移住した生粋の日本人は、日本の主権支配を認識し、自らを日本人として認識している。

現在の沖縄県知事である玉城知事は、自治の推進者であり、米軍基地に反対している。

前知事は自治の立場を公言し、大田前知事でさえも、自立派から独立派にシフトしている。 独立・自治運動の屋台骨であり最前線の推進力となっているのが大学教授陣で、元日本共産党の徳田球一氏(ソ連コミンテルン)の子孫や義賊・林世功の子孫などの著名人が参加している。

※中国共産党と沖縄独立運動してる日本共産党は連携している可能性がありますね。

近年は数十万人、数万人規模の抗議行動もあり、琉球独立運動の民度の高さが示されている。

鳩山由紀夫や河野洋平といった日本の政治家は沖縄と密接な関係があり、ノーベル賞受賞者の大江健三郎や有名なアニメーターの宮崎駿は、琉球独立・自治派に深い共感を示している。

沖縄の反米軍基地運動は、独立・自治運動の一環として、年々拡大し、勢いを増しているものと思われる。

反基地運動は、1960年代の反安保運動と同様の規模と影響力を持つようになった。

数年来、万能子地区の人々は、建設現場での妨害や抗議活動を粘り強く続けてきた。 反基地運動は、日米同盟やアジア太平洋地域における米軍の駐留など、国家の政治・外交の大問題と直接結びついている。

独立・自治派の主な思想理論やスローガンは、「自己決定権の回復」「琉球独立」「1879年の琉球の不法処分」である。

"1972年の日米返還協定は主権帰属を解決していない"、"軍事植民地はない"、"米琉を含む1854年の3条約は琉球が独立国であることを証明 "などで、かなり優勢であったが、これらは プロパガンダがあまりにも支配的であったため、日本政府はかなり消極的であった。

琉球の独立と自治を求める運動は、国際的に加速する傾向にあった。 日本政府の琉球人、在日朝鮮人に対する反人権、反文化政策は、翁長知事、上院議員を含む政治家、実業家、学者、教授によって、国連人権機関の多くの会合で暴露されました。

琉球新聞、沖縄タイムスを中心に、東京の朝日新聞などに支えられた地元の琉球新聞と、2014年に新設された「琉球独立研究」、20年近く発行されている「うるまネシア」などの独立、あるいは自治・自立を唱える新聞、そして膨大な数の論文や論説からは、独立・自立派の思想的命題を 理論化、体系化、大衆化されている。

2013年5月15日、琉球独立の聖火を再び灯す「琉球独立総合研究所」が設立された。 戦後の琉球自決運動の中で、最も若く、最も高い教育を受けているのがこの団体である。

このグループの指導者(共同代表:龍谷大学、島泰勝・友知政樹・桃原一彦・親川志奈子・照屋みどり)は、それまでの運動家よりも、考え方や主張が成熟していた。 それは「台湾独立」や「釣魚島」の問題に対するアプローチに表れている。

※この琉球民族独立研究会は琉球共和国樹立を目指しています。

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2017年10月22日、琉球民族独立研究会は会則を改正し、これまで記載されていた他の独立運動(台湾独立を含む)を削除した。 琉球独立研究会は当初から釣魚島を重要視しておらず、発起人の一人である松島泰勝は、歴史や法理論に基づいて釣魚島が中国に帰属することを公然と主張する著書『帝国の島』(2020年7月刊行)を執筆しています。 こうして、中国人と琉球人の間に立ちはだかっていた両者の垣根が取り払われた。 これによって、琉球の自決は中華民族の復興と同じ方向に進むことができる。

勿論、琉球人の一般的な意識は、まだ "反基地 "のレベルであり、自決・独立のレベルには至っていなかった。 "琉球独立協議会 "のリーダーたちは、他の "反基地 "の人々やグループと協力することを現実的に考えており、現段階ではすべての人に自決・独立の支持を求めてはいない。

琉球の一般的な見解は、中国が東アジアの国際秩序の主導権を取り戻すほど強くなるまで、琉球の未来は本当に日の目を見る事はないだろうというものである。

第三に、琉球問題を今から提起することは可能である。

琉球問題は、日中間の歴史的遺産であり、第二次世界大戦の歴史的遺産でもある。 どちらも中国に直接関係する事であり、中国は関心を持たざるを得ない。

琉球問題は、日本の村山富市元首相の談話にある「植民地問題」でもある。

琉球王国を近代日本初の海外植民地として併合した事は、日本軍国主義の歴史的責任である。 日本軍国主義の罪の清算は、琉球問題の処理と関連づけられなければならない。

琉球の主権の未確定は、第二次世界大戦の遺産であり、その戦後処理である。

国際条約の参加国として、戦勝国であるファシスト国家のかけがえのない一員として、また国連のスポンサーであり常任理事国である中国には介入する権利があり、琉球問題を提起することは決して日本の内政への干渉ではありません。

原則として、琉球問題は国際問題であり、日本の国内問題ではない。

★ふざけ過ぎです。こういう中国の言動を見過ごしてはいけません。

以上が、琉球再考問題を提起する戦略的・国際法的根拠である。 私の考えでは、日中関係において琉球の地位再考問題を戦略的に提起することは可能なはずであり、法的にも歴史的にも事実上擁護可能である。

勿論、このような大きな戦略的問題は、一度や二度の訪問で解決できるものではないし、短期的に解決することはあり得ない。

琉球の自決を支持し、台湾の独立に反対する事は、我々の責任である。

私達の指導者は、訪日時に琉球自治の問題や日本政府による琉球全域への軍事施設配備に関心を持つべきであり、琉球再考の問題を提起する事ができると思う。

中国政府の関連部門は琉球自治運動を支持し、沖縄県庁の琉球自治政府への移行を支持すべきである。 最も重要なのはやはり米国である。

現在、中国と米国が緊張状態にあるため、米国は琉球問題で日本側に偏ることは間違いないでしょう。

しかし、琉球再考問題を提起する事は、日米の対立を深める事になりかねない。

琉球再考問題を提起する事は、米軍基地を徐々に琉球から追い出そうとする手段でもある。 長い目で見れば、米国は必ずしも琉球の独立に反対しているわけではありません。

琉球は歴史的に韓国と友好関係にあるため、琉球独立問題が提起された場合、韓国が反対することはないと予想されます。

短期的には琉球の自治を目指すことが中国の東アジアにおける利益となり、長期的には琉球の独立を目指し、東アジアにおいて中国、日本、韓国(北朝鮮)、琉球の4国家を形成することが中国の東アジアにおける利益となる。

琉球再考を提起することは、琉球の自決を支持することであり、それを利用することではなく、琉球の自決を支持するために反日になることでもなく、日中友好のために琉球人の自決という利益を放棄することでもない。

中日関係は琉球の自決と切り離して考えなければならない。 中国としての考えでは、中日関係は中日関係であり、琉球問題は琉球問題である。

琉球再考の為に中日関係を弱める事はないし、中日関係を重視する為に琉球問題を脇に置く事もない。

今日、琉球問題を提起するにあたっては、中国と琉球の500年以上に渡る歴史的関係を基礎とし、1879年に日本が琉球を併合した当時はほとんど考慮することができなかった歴史的責任を負う必要があります。

国際法の対象としての琉球の地位の回復とは、琉球を中国の所有に戻すことではありません。

丁度その500年の間に、琉球も独立国家であり、中国とは臣従関係はあったが、琉球は中国の領土ではなかった事を理解しなければならない。 琉球を大切にし、自決の要求に応える事は中国の歴史的責任であり、カイロ宣言やポツダム宣言で中国に与えられた責任でもあります。 我々は、琉球を駒として使い、中日関係を害するような日本への反発を促すような事は決してしない。

この立場を堅持してこそ、中華民族の再生の大義は、東アジアの国際関係において道徳と正義の高みに立つ事ができる。 もし我々が琉球の回復を主張するならば、かえって中国が利己的な目的を持っている事を示すことになり、国際的な道徳的信頼を失い、国際的に馬鹿にされる事になり、それは好ましくない。

今日、アメリカの覇権主義に対抗し、日本の右翼に対抗し、「台湾独立」分離主義に対抗する為には、琉球の民族意識のある人々との協力を直ちに開始し、短期的な利益の為に琉球民族の長期的幸福を犠牲にしない事だ。 そうでなければ、長期的には受動的な立場になり、その結果は取り返しのつかない事になる。

2023年5月14日

先月こんな話が堂々と中国の有力者から出てきており、習近平もそれを意識した発言をしています。

非常に危険ですね。

産経はこう指摘しています。

風土、文学、言語、宗教、人種、風俗、習慣、いずれも日本と同じである。西暦1441年以来薩摩に属し、従って日本は数百年来統治権を行使してきた。

中国への冊封、進貢は経済上の欺瞞行為に過ぎない。

この産経の主張をエビデンス(続日本記 国立国会図書館のアーカイブ)付けて見ていきます。

原本での記載を探すのに少し手間取りましたが、国立国会図書館の続日本記アーカイブから該当箇所を見つけてきました。

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文武(モンム)天皇 第四十二代 巻第一 起丁酉年八月、尽庚子年十二月/1より⇩

『続日本紀』には、698年(文武天皇2年)に朝廷の命により、務広弐文忌寸博士が南島(なんとう)に派遣されたとあります。

※続日本記は国史です。

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明は1368年から存在した王朝ですが、それよりも前、飛鳥時代の698年の事です。明王朝誕生より670年前。

この時の文忌寸博士の任務は掖玖、多褹、菴美の朝貢関係を確認する事にあり、699年(文武天皇3年)に多褹・掖玖・菴美・度感など島々から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載があります。

それがこちらになります⇩

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南島の献上宝物を伊勢神宮および諸神社に奉納したとの記載も。

また、これ以降、朝廷は多褹に国司を派遣するとともに、球美や信覚にも服属を求める使者を派遣している。715年(元明天皇霊亀元年)には南島奄美・夜久・度感・信覚・球美等から来朝し方物を貢上したという記載があり、このとき、天皇は大極殿(平城京)で正月の朝賀を受けられ、皇太子が礼服を着して拝朝を行い、朱雀門で鉦鼓と笛で騎兵が左右に整列して陣し朝賀の儀を行ったと記載がある。

このとき蝦夷の人々も来朝し、蝦夷と南島の人々に位階を授けたとある。他にも720年(元正天皇養老4年)に南島人232人に位を授け、また727年(聖武天皇神亀4年)に南島人132人に位階を授けた、などの記載がある。

この頃、朝廷は遣唐使派遣のための航路を南西諸島沿いに求めており、遣唐使船が寄港し補給するためにもこれら諸島との交流が必要であった。

それとともに、南西諸島に属する島々が朝廷に貢献していた事を示している。

 

とこの様に中国の主張はこうした歴史を無視し、自分達の都合がよい主張を作り、沖縄は中国の領土であると再び世論形成を行い始めた様です。

これは日本による南西諸島の防衛が整ってきた事への焦りでもあるでしょう。

それに国際法云々言うなら、チベットを国際法に違反し不法占拠し、東トルキスタンを国際法に違反し不法占拠し、
南シナ海のスプラトリー諸島を国際法に違反し不法占拠しているが、これらを返し、国際法を遵守してから言うべきです。

 

中国は沖縄を盗る気です。日本政府は要注意を。