今、騒動を起こし話題の川口のクルド人とクルド労働者党(PKK)

 

2023.8.3

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https://youtu.be/ax9RR4wB5pQ

埼玉県川口市の市立医療センター周辺で7月4日夜、クルド人達が乱闘騒ぎを起こし、埼玉県警は多数のパトカーや機動隊を出動させ大問題となりました。 

男性2人が暴行や公務執行妨害の現行犯で逮捕されています。

100人近くが集まり、騒ぎ、救急受け入れが5時間半も停止。

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先月12日にはクルド人の中学生が川口市の商業施設に花火に火を付けて投げ込み、逮捕。

クルド人中学生はこの事件の数時間前に仲間と数人で施設を訪れ、大音量で音楽を流したり、たばこを吸ったりする迷惑行為などを繰り返していた為、警備員に注意されたところ「外国人を差別するな。爆破してやる」と言っていた様です。

日本クルド文化協会の調べでは、「難民などで構成される在日クルド人は約2000人。そのうち、6割強となる1200~1300人が、川口市や蕨市に住んでいるとされています。

現在は1000人以上とも言われる川口市や蕨市の在日クルド人がこの地に集中して住み始めた理由は、かつてトルコ政府と対立し総攻撃を受けた後、ビザを取得しなくてもまず入国が可能な日本を目指し、今も増え続けているからだと言われています。トルコ国籍のクルド人の場合、3カ月間の滞在が許される観光名目で日本に入国し、そのまま難民申請や国内で働けるビザの取得を行う事により、日本への長期滞在を目指すパターンが定番の様。

 

傍若無人に川口で振る舞う彼らの一部にクルド労働者党(PKK)関係者がいるのではないか?という指摘が以前からあります。

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勿論、こちらは川口や蕨に棲みついたクルド人全体ではなく一部のクルド人が関係しているレベルでしょうが、その背景が興味深いので見てみましょう。

 

クルド労働者党(PKK)は公安監視団体です

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前身は「クルド人国家の樹立」を掲げてきた左翼系武装組織「民族解放軍」。

マルクス・レーニン主義を信奉(現在はもうマルクスレーニン主義は信奉していないと言っていますが真偽は不明)し、麻薬密売等で米国政府から外国テロ組織に認定されています。

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この話がネットの噂ではない証拠として、公安部が2006年11月から2007年4月にかけて、埼玉県に居住していたクルド人8人を入管難民法違反容疑で逮捕した際にクルド労働者党(PKK)関係者だった事が判明しています。

2007年6月27日、公安部の調べでは、逮捕された8人のうち数人はクルド労働者党の支援者であると認めており、彼らがテロ活動の支援をしていた可能性があると見ていましたが、十分な証拠が見つからなかった為、全員の身柄を入管に引き渡しています。

https://youtu.be/z2r7aRQtG_U

クルド労働者党は、1978年、マルクス・レーニン主義を標ぼうする独立組織として、左翼系武装組織「民族解放軍」から名称を変更して設立されました。

1984年、トルコ政府に対するテロを初めて実行し、1990年以降、同国でテロを頻発させ、1993年及び1995年には、欧州におけるトルコの外交及び商業施設に対するテロも実行しています。

クルド労働者党とその関連団体は数々の重大な人権侵害を犯してきており、トルコでクルド労働者党は禁止され、テロ組織に指定されています。

英国では2000年テロリズム法に基づき2001年3月から非合法化されており、EUのテロ組織リストにも記載されている状態です。

既にトルコで共産革命を起こし、国を作ろうとして失敗し、トルコ政府から徹底的に武力で叩かれ、一部が日本に亡命。

こうした状態の為に、庇護申請者が難民条約の適用除外となる場合には、人道的保護の認定も除外されるのが通例であると英国内務省は述べています。

現在はここまで過激な活動はしていないようですが・・・・クルド労働者党は2016年3月にも、「人民統一革命運動」を通じてエルドアン政権を打倒する等と誓っています。

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一部とはいえ、この様な極左過激派が混じっているとなると、彼らの動きを今後もよく観察しておいた方が良いかもしれませんね。

日本の法務省も彼らについて資料を纏めています。

クルド労働者党が率いる上位組織、人民統一革命運動についてですが、この組織は9つの非合法左翼団体と親クルドの過激派グループで構成され、クルド労働者党の上級指導者Duran Kalkanが率いていました。

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人民統一革命運動は極左武闘派を代表する為に作られ、トルコ政府と公正発展党(Justice and Development Party, AKP)に対抗しており、その使命は「トルコの革命部隊を統一・強化し、トルコ政府に対する武装闘争を促進する」事にありました。

その手法は様々なグループとの連携による、プロパガンダとテロ攻撃だと言われていますので、この様な極左テロ組織との関連が疑われるクルド難民の為に、日本政府が安易に取り合わないのは賢明だとも思えます。

日本政府はこのクルド人問題でトルコ政府と協力しており、間違った対応をしたら国際問題にすらなり得る話です。

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 エルドアンはヤバいオッサンですが、自国内で革命を起こそうとした組織関係者への対処として、クルド労働者党関係者のクルド人には申し訳ないですが、正しいとも思えます。

この組織は解体すべきです。当初、世界共産主義革命の一部であると主張して生まれましたしね。

だからレーニン・マルクス共産主義を標榜し、まるでコミンテルンかの様な言動や体制作りをしていたのでしょう。

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こちら日本の法務省によるクルド労働者党についての資料です。

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目にされた事がある方も少ないでしょうから、一度目を通される事をお勧めします。朝日さんや毎日の様なメディアはクルド人活動家デニズ氏を取り上げたり、NHKはドラマ「優しい猫」などと彼等を被害者目線でしか報道していません。

こうした実態は報道しない。

長いですが確認すると、クルド労働者党の危険性が把握できます。

 

公平を期する為に、一般社団法人日本クルド文化協会の言い分も取り上げます。

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彼等はクルド労働者党はイスラム過激派と戦う戦士であり、もはや分離独立を狙う組織ではないから国際社会はクルド労働党をテロ組織認定から外すべきだと主張しています。

入管法の改正案に反対し、すべてはエルドアン政権が悪いという論調です。

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 川口乱闘については、単なる好奇心と拡散された誤った情報に引き寄せられた人々が、SNSや人づてにクルド人とトルコ人という2つの民族集団による衝突という話を広めた結果、病院の緊急外来の業務を妨害し、機動隊の出動という事態に至ってしまったと説明。

トルコの情報機関が関係するとみられるツイッターアカウントが次々と作成され、今回の件について日本人や日本に対決的な投稿を広めているとも。

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そのまま信じてあげたい所ですが、クルド労働者党を正当化しようとしたり、入管法改正をデニズさんのような活動家や、福島瑞穂の様な反日日本人と関係を持ち活動している以上は、素直に認め受け入れる事などできません。

また、クルド労働者党が麻薬販売というビジネスをメインにしている事も見逃せません。

インターポールによると、クルド労働者党(PKK)はヨーロッパの違法麻薬取引市場の実に8割を支配してた時期があると指摘されています。

彼等の資金源の9割は麻薬とマネーロンダリングとされており、クルド労働者党の収入は年々拡大し、トルコ警察は年約15億ドルと見積もっていたとの事です。

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こちらは麻薬取引でオーストラリア政府から制裁を受けた際の発表。

 

クルドのこの武装組織の特徴として、薬物売買が資金源なのと女性戦士が多いのが特徴。

ちょっと美人でも中身がゴリゴリの武闘派で、中東の戦場でも活躍しています。

高級車を乗り回し話題になったマヒルジャンさん、随分と羽振りがよさそうですが、PKKから仕事受けてないよね?ってちょっと気になりました。

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⇩こちらはデニズ氏。

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1992 年に 日本に2 人しか居なかったクルド人が何故ここまでの勢力になったのか?そのクルド人自身が語る物語を最後に紹介します。

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ワラビ(蕨)スタン。日本におけるクルディスタン

日本におけるクルド人の冒険は、日本最小の地区である蕨が「蕨スタン」と名づけられるまでの物語です。

物語は、90年代初頭に自分たちの土地(トルコ)を離れなければならなかったカフラマンマラシュ出身の2人のクルド人が、日本に足を踏み入れたところから始まります。

2人のクルド人は最初は他の人々と同じようにヨーロッパに渡りました。しかし思い通りにいかず、日本に来てそのままとどまったのです。

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1992年に2人で始まったこの冒険は、2016年には約2,000人を引き連れて今も続いています。

この間、クルド人達は日本で法的権利がないにも関わらず、異質な日本での生活を確立しようとしています。

ほぼ全員が難民

一般に言われている事と異なり、埼玉県川口市に住むクルド人は蕨に住んでいるわけではありません。

彼らは主に蕨駅を利用し、駅周辺を集団で移動する為、日本人には蕨に集まっていると認識されていますが、ほぼ全員が難民として庇護を申請しており、その大多数が「仮放免」と呼ばれる免除を受けています。

仮放免はトルコ語に正確に相当するものがない免除で、この免除を受けている者は働く事も、家を借りることも、何かを買う事も禁じられています。

仮放免とは、出入国在留管理局に収容されている外国人が出入国在留管理局に保証金を納付するのと引き換えに、一時的に出入国在留管理局の収容施設から身体拘束を解いてもらう手続き。
仮放免の申請は、収容されている外国人、またはその代理人、保佐人、配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹が行う事ができます。

仮放免が認められると、出入国在留管理局から「仮放免許可書」という書面が交付され、1~3か月に一回程度、管轄の出入国在留管理局に出頭し、仮放免の延長手続を行うことが要求されます。
尚、仮放免は、あくまでも一時的に被収容者の身体拘束を解く制度に過ぎませんので、在留資格がない事に変わりはありません。

 

仮放免の禁止事項にも関わらず大半は建設業に従事

仮放免を持っている人は、2ヶ月ごとに入国管理局で書類にスタンプを押してもらわなければならないが、入国管理局の恣意的なやり方と法律の難しさにより、仮放免を受けている者はしばしば収容所(条件的には刑務所に似ている)に入れられます。健康上の権利も渡航の権利もなく、大多数は就労も禁止されています。

しかし、働ける者は主に建設業に従事しています。

やがて、クルド人は何故か自分達の職場や建設会社まで開くようになりました。

50社近くの建設会社を開いたクルド人は、独自の経済圏を作り上げ、労働問題を解決しました。

以前は日本人と一緒に働かなければならず、多くのプレッシャーにさらされ、言葉が通じない為に苦労していたクルド人達は、同胞だけの職場で働く方が快適だと言っています。

 

以前は公園で寝ていた

ヒュセイン・ギュルは最初に日本に来た一人です。

最初は多くの問題があり、公園で寝なければならなかったと説明し、ギュルはこう続けます「日本に来たのは1992年で、もう24年になると思います。 最初は5、6人の友人で、言葉も通じず、何をすればいいのかも分かりませんでした。借りる家も見つからなかったし、家が見つかっても家賃を払うお金もなかった。私達は数カ月間公園に寝泊まりし、それから家を借りた。人数は12人になった。ワンルームの家で12人が交代で寝ました。全員が横になれるスペースがなかったからです。

 

彼らは日本のクルディスタンの苦境について国連に陳情した

ギュルはこの時期、国連事務所に行き、自分たちの生活やクルディスタンについて話したとの事。

「取り合ってくれるものは居ませんでした。 時は過ぎ、私達は非常に困難な状況で生活していましたが、法的には私達の状況は変わっていません。私達のアイデンティティは、私達の土地で否定され、無視されました。しかし、私達の状況は日本でも変わりませんでした。」

 

東京での国民民主主義党(HDP)抗議デモ

ヒュセイン・ギュル氏は、東京で行われた(クルド国民民主主義党)HDPの共同議長や国会議員の投獄に対する在日クルド人の抗議デモ行進を見て感動したと語り、20年前には街頭に出る事ができなかった人々が、自由の為の闘いを、東京の最も混雑した通りにまで持ち込んだ事を誇りに思うと述べた。

国民民主主義党はトルコの政党で2012年10月に結成され、トルコにおける少数民族であるクルド系住民を主な支持基盤とし、政治的立場は左派系です。

トルコ最高検察庁は「国民民主主義党」に対する解散命令を出すよう、憲法裁判所に申し立てしています。

 

クルド文化協会設立。

在日クルド人は25年ほど前から様々な分野で組織化されてきました。

2013年、クルド人の若者達が協会を設立した事で、日本におけるクルド人の冒険は新たな局面を迎えました。

社会的・政治的活動を行うクルド文化協会(上で紹介したクルド人協会です)は、日本在住のクルド人が避難し、自由を求める彼らの闘いを日本や国際世論に訴え、説明できる母体となりました。

 

クルド文化協会をクルド人大学生が主導

協会の創設者の一人であり、マネージャーでもあるユルマズ・ウシャルは、協会設立の経緯を次のように語っています 「私が日本に来た時、非公式な協会はありましたが、必要な公的インフラがなかった為、機能していませんでした。その後、閉鎖されました。最近クルディスタンから来た大学で勉強している若者達が2013年に一緒に協会を正式に開きました」

クルド労働者党が連携してる国民民主主義党(HDP)が日本で1位となった?

ウシャル氏はこの協会で日本の人々にクルド文化と政治闘争の両方を説明し始め、多くの大学で会議を開いたと述べており、国民民主主義党(HDP)日本支部が組織内で1位になるように努力し、成功したと語った様です。

・・・世界各地の支部でNo1支部になったという事でしょうか?

 

クルド人指導者アブドゥッラー・オジャランの著書を日本語に翻訳し日本に広げる

クルド文化協会の理事の一人であるヴァッカス・チョラクは、クルド文化とクルド語に関する活動について次のように語っています 「私達は近い将来、日本でクルド学研究所を設立する構想を持っています。研究所を設立し、クルド語とクルド文学の為の活動を続けたいと願っています。私達は3冊の本を執筆し、そのうちの1冊はクルド語・日本語で、クルド文学の優れた作品の翻訳を依頼しています。近い将来、クルド人指導者アブドゥッラー・オジャランの著書も日本語に翻訳する予定です」

馬脚を完全に表していますね。

 

彼らが言うクルド人指導者アブドゥッラー・オジャランとは?

アブドゥッラー・オジャランはトルコの反政府テロ組織クルディスタン労働者党(PKK)のリーダーです。

トルコ政府はアブドゥッラー・オジャランテロリストとして認定し、1999年にテロ活動を行ったとして終身投獄しました。"Öcalan"とは、トルコ語で「復讐をする者」という意味。

アブドゥッラー・オジャランはマルクス共産主義の毛沢東主義政治に関与するようになり、1973年に初めて逮捕されていて、この思想を日本で広げたいと言っています。クルド文化協会はSNSで自分達は無害だと主張していますが、どう見ても危険ですね。

中国共産党とすら連携する可能性があるのではないかと考えます。偶然にも川口には中国人コミュニティが勢力を伸ばしていますし。。。

クルド文化協会代表のメモ・ユセルは次のように語っています。

「私達は日本では新しい団体ですが、設立当初から多くの活動を行ってきました。

トルコ政府が北クルディスタンに押し付けた戦争で家を失った人々の為に、私達は当センターと共同でキャンペーンを企画しました。

トルコ国家によって家を破壊された人々の傷を癒す為に、私達は当センターに人々の寄付金を送りました。

姉妹家族キャンペーンの範囲内で、私たちは 北クルドのİdil’eの58家族を支援しています。私達はヘイヴァ・ソルを通して犠牲やその他の宗教的義務を果たしています。

地元とも協力関係にあるようです。

 

男性は建設業、女性はケータリング業

在日クルド人の大半は若年層で、ほぼ全員が建設業に従事しています。

一方、女性は働き始めたばかりで、殆どが飲食業に就いています。女性達は、言葉が話せないし、子供の世話をしているので働けないと言います。

男達は毎日早起きして、東京、埼玉、千葉、神奈川、その他の県に行き、ビル解体の仕事をしています。

仕事と移動に明け暮れる若者達は、休息と娯楽の為に近所のケバブ屋によく集まります。彼らはまた、協会が主催するコンサートやスポーツ活動、語学講座にも参加しています。

 

日本の地区名をクルド人の地区名に変える

在日クルド人によれば、蕨市を蕨スターンとは呼びません。

日本で一番小さな地区である蕨がクルド人エリアと呼ばれるようになると、新聞やメディアで大きく取り上げられるようになり、日本で最も有名な地区のひとつとなりました。

日本の地区名や公園名はクルド人には発音しにくいので、クルド人は公園名や地区名を変え、クルド名をつけています。

蕨市民公園をニューロズ公園、別の公園をキジク公園、近隣をマハレ・チョロクソンと改名し、日常生活をしやすくしようとしているとの事。。。

これは普通ではない、この事を川口市民はどう感じているのか????

 

簡単ではありますが、この様な川口のクルド人の様子とそのバックグラウンドを見ていただきました。

メディアや他所ではここまですら掘っていないと思います。 

ネット上では一部で話題にはなってますが、多くの日本人が今起こりつつある”この事”を知らないと思います。

実際周りで、クルド人が病院前で騒ぎを起こした事に触れ「日本でクルド人が好き勝手なことをしている」と話したのは、今でも世の中で起こっている事に興味を持ち続ける80代の男性だけ。

他の人とは無関心なのか話題にもなりません。これって非常にまずいと思います。

この川口クルド人問題は、不良外国人による単なる移民迷惑問題などという話ではなく、国際的なレベルでクルド人による浸透が着々と進められているから起きているのかもしれません。

25年でこの状態に至っており、このまま放置していれば更に悪化するでしょう。傍若無人に川口で振る舞う彼らの一部にクルド労働者党(PKK)関係者がいるのではないか?という指摘は正しいのでは無いでしょうか。

今後も注視し、また動きがあれば報告します。