「3年間で、500体の遺体の脳を売りさばいていた」三重の火葬場で“とんでもない事実”が明るみに…戦前の昭和に起きた“脳みそ盗み”事件

 

2024.9.19

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文春が取り上げた戦前の事件の記事が、昨日から話題です。

文春が取り上げたのは1933年に起きた「桐生火葬場事件」。群馬県桐生市で火葬場職員が変質的な金持ちから依頼され、火葬場に運ばれ てきた遺体から脳漿 (脳のまわりを満たしている液)を盗み、高額で売りさばいていたとして当時、日 本中で話題になったと紹介しています。

実際に1933年の日本新聞の桐生火葬場事件の記事をここでは見てみましょう。

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この事件は未曽有のグロ事件として報道され、「桐生火葬場で17年間に死体260余から脳漿を取り出して隠蔽した松井勘次郎」について書かれています。

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桐生火葬場で遊んでいた子供らがたまたまゴミ捨て場に捨てられていた遺体を発見した様子。

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1933年4月14日にこの事件が最初に発覚した際の様子。

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警察が容疑者を確保した時の様子。

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事件の概要

桐生市の火葬場で臨時職員として勤務していた松井勘次郎(1933年4月当時45歳)は粗暴で前科のある男だった。1933年4月14日、火葬場の西側の楢林で男女2名の白骨死体が発見された際に、死体遺棄事件の被疑者として群馬県警察桐生警察署に留置され、取り調べを受けた。

1933年4月15日、松井は火葬場裏手の楢林の北側に数体の死体を埋めた旨を自供。

松井の指定する場所を発掘すると、頭頂骨を割って脳漿を摘出した死体が38体発見された。

1933年4月16日更なる発掘の結果、火葬場西北隅と南隅から85体の死体を発見、いずれも死後5-6年を経過していた。このうち20体は子供の死体だった。解剖の結果、いずれも病死であり他殺の疑いはない事が判明した。

松井は「少しの報酬で夜通しかかって焼くのは面倒だからやむなく半焼にして埋めた。報酬が多くてよく焼けた死体の残骨を分けて、骨上げに来た家族に渡していたが数は覚えていない。」と供述。

更に松井は死体から金歯を抜き取り、迷信家の依頼で脳漿を摘出し、これらを売って利益を得ていたものと思われた。

この事件の責任を取り1933年4月17日、桐生市長の関口義慶二は辞表を提出、それ以後も現場の発掘が進み、火葬場付近の3ヶ所から頭蓋骨を打ち砕かれた死体やバラバラ死体が約80体発見された。

また松井の共犯として、私営時代の火葬場経営者の山本興静が摘発された。山本は、燃料節約の目的から死体を完全に焼却しなかったと述べた。死体を埋めるにあたっては墓場の穴掘り人足2名が手伝った事を供述した。

社会的影響が大きかった本事件をきっかけとして、類似の事件が次々と明らかとなっていく。1933年9月6日には三重県の火葬場で、1933年11月1日には埼玉県で、遺体から営利目的で脳みそを抜き取る事件が起きている事が明らかとなった。また、群馬県の現場となった火葬場はその後閉鎖されて、1935年には新たな火葬場が建てられ、慰霊祭も開催されたという。